私がこの会津の街に参りましたのは、単なる偶然ではなかったと、今、強く感じております。
まるで、遠い昔から呼ばれていたかのように。
一歩、また一歩とこの地を歩くたび、 行仁町や旧・堀江町に息づく、奥深い歴史の息吹に触れるたび、 「この地で果たすべき役割がある」との思いが深まってまいりました。
この地に眠る、遠い日の物語を紐解く「歴史探訪」へと、皆様をお誘いいたします。
■ 忘れられた町名「堀江町」を訪ねて 会津若津の城下、行仁町のほど近くに、一つの石碑が静かに佇んでおります。

(※ここに「旧・堀江町」の石碑説明の写真)

これは、かつてこの場所が江戸時代の町名「堀江町」であったことを示す、過去からの便り(たより)にございます。
🏯 この街の歩みと共に 行仁町、旧・堀江町 歴史探訪ウォーク
歩くたびに、出会うたびに、
「ここで使命を果たすために導かれたのだ」と強く感じるようになりました。
行仁町や旧・堀江町に残る歴史、 そしてこの地に暮らす人々の温かさに触れるたび、
私はこの地域の未来づくりに関わる決意を新たにしています。
この思いの原点でもある、地域の素晴らしい歴史を巡るウォークイベントをご紹介します。
⸻ ■ 旧・堀江町を巡る歴史探訪ウォーク 会津若松市・行仁町周辺には、城下町時代の町名が今も点在しています。
今回ご紹介する「旧・堀江町」もそのひとつです。
写真にある石碑は、かつてこの場所が江戸時代の町名「堀江町」であったことを示す史跡です。
⸻ ■ 堀江町とは?
堀江町は江戸時代初期に整備された会津城下の一角で、 町政に関わった「堀江氏」の名字に由来すると伝わっています。
城下町では、当時の町年寄(今の町長に近い役職)や有力家系の名字がそのまま町名になることがよくあり、堀江町もそのひとつです。
⸻ ■ 行仁町との深い関わり 現在の行仁町(ぎょうにんまち)は、旧名を「行人町(ぎょうにんまち)」と呼び、 宗教者や職人が暮らした歴史ある地域です。
堀江町と行仁町は隣接しており、この一帯は 武家・町人・職人が入り混じる“生活文化の交差点” として発展しました。
城下町の小路、地形、街並みに、当時の名残が色濃く残っています。
続く北側のまち並み 石碑や古地名を見つけながら歩くと、いつもの道が、昔の町割りの形を映し出す “歴史の教科書” に変わります。
⸻ ■ まちの歴史を未来へ 行仁まちづくり協議会では、地域に残る歴史や文化を次の世代に楽しく伝える取り組みを行っています。 今後も、散策イベントや町名の歴史紹介など、
“知るともっと好きになる”
行仁町の魅力を発信していきます。
歴史あるこの街の歩みと共に、 私自身も役割を果たしていきたいと思います。



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